北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    女性のお洒落と戦争

    2022/10/07

    Vol.36 令和4(2022)年10月7日

     「パーマネントはやめませう」というスローガンを一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。戦時中、質素(しっそ)倹約(けんやく)が要求される中で過度なお洒落を贅沢(ぜいたく)だとみなし、パーマに対する反対運動が起こりました。

    では、同じくお洒落を連想する化粧はどうだったのでしょうか。昭和16(1941)年に文部省が制定した「昭和の国民礼法」には「化粧は目にたゝない程にする」と記載があり、化粧は礼儀の一つという意識でもあったことが伺えます。

     戦時中は戦地へ赴く男性の代わりに働く女性が増えたため、下地クリームと一体型になって手順が簡略化された白粉(おしろい)や、持ち歩いてもこぼれにくいよう工夫された白粉などが開発されました。しかし、戦局が長引く中でさまざまな統制が強化されると、化粧品の入手も困難になり、大正時代に家庭で作られていた化粧品であるへちま水やきゅうり水などが再び脚光を浴びました。化粧品業界は軍需関連品の製造に転換を迫られ、女子挺身隊(ていしんたい)用に化粧用クリーム、化粧水、白粉など、海軍用に防虫軟膏(なんこう)、凍傷用クリームなどを製造するようになりました。

     また、化粧品の広告は「簡素美」「身だしなみ」など戦時下において化粧のあるべきイメージや戦意(せんい)高揚(こうよう)のフレーズを用いたものが増えました。昭和13(1938)年に発行された雑誌「家の光」の表紙には、薄化粧をした女性が写っています。身だしなみを整えたり少しでもお洒落を楽しんだりしたいという気持ちは、今の私たちにも通じるかもしれませんね。

    (学芸員M)

    【参考文献】

    日本化粧品工業連合会編「化粧品工業120年の歩み」1995年

    日本化粧品工業連合会編「化粧品工業120年の歩み資料編」1995年

    三田村蕗子著「夢と欲望のコスメ戦争」新潮社、2005年

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