北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    77回目の夏

    2022/08/05


    Vol.27 令和4(2022)年8月5日(金)

     今年の8月で、広島・長崎への原子爆弾投下から77回目の夏を迎えます。

     昭和20(1945)年8月6日、広島へ人類史上初の原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、多くの尊い命が失われました。この日の第2目標は小倉だったため、広島の天候が悪かった場合は小倉へ投下された可能性もありました。

     その3日後の8月9日には、長崎へ原子爆弾「ファットマン」が投下され、たくさんの方が亡くなっています。この日の第1目標は小倉で、前日の八幡大空襲による煙と雲で上空の視界がきかず、投下目標だった小倉陸軍造兵廠を目視できなかったため、「ファットマン」をのせたB29は長崎へ向かったのです。

     8月9日当日、小倉で原子爆弾を搭載したB29を目撃していた方は、次のような体験談を語られています。

    「昭和20年8月9日でした。空襲警報が発令され、10時前にB29が飛来したのですが、いつもの編隊とは違って、わずか2、3機でした。偵察機だと判断し、暑い防空壕に逃げ込む者はいませんでした。そのまま小倉上空を2、3度旋回し、南西方向へと消えていきました。 (中略) 煙った空に命拾いした人、晴れた空に傷つき命をなくした人、運命というひと言で表していいのだろうかと思います。」

     仮に小倉に原子爆弾が落とされた場合、当時の小倉市の人口の約43%、少なくとも5万7千人以上の方が亡くなったであろうと言われています。負傷者や放射線による健康被害を受ける方がいることを考えると、さらに犠牲者は増えていたでしょう。市街地の大部分は破壊され、小倉のまちは焼け野原になっていたと考えられます。

     「広がる戦争と空襲」のゾーンでは、小倉に原子爆弾が落ちた場合の被害想定図などを紹介しています。この北九州市民にとって大事なifについて、考えてみてください。


    【参考文献】

    朝日新聞西部本社社会部編『小倉に原爆が落ちた日』(あらき書店、1983年)

    北九州市総務局総務課編『後世に語り継ぐ北九州市民の戦争体験』(北九州市総務局総務課、2016年)

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