北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    従軍作家 ~林芙美子~

    2024/06/28

    No. 92 令和6(2024)年6月28日

    出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/

     本日は、北九州に縁のある作家・林芙美子(本名 フミコ)の命日(昭和26年没)です。芙美子は明治36(1903)年、門司市(現 北九州市門司区)大字小森江に生まれ(下関生誕説もあり)、明治40年ごろには、若松本町(現 北九州市若松区)に住んでいました。
     芙美子は、自身の放浪生活を書き綴った小説『放浪記』(改造社、1930年)を代表作とする流行作家でしたが、戦争中に従軍作家として活躍したことから、戦後、戦争協力者として批判も受けました。
     日中戦争の勃発後、昭和12(1937)年12月から翌年1月まで、芙美子は毎日新聞特派員として上海や南京へ赴き、南京陥落の際には「女流の一番乗り」として報道されました。また、同年9月には、内閣情報部による「ペン部隊」に選出されます。すべての職業が戦争遂行のため国家に協力する職域奉公として、ペン部隊は結成されました。中国に派遣された芙美子は、陸軍第6師団の漢口かんこう攻略に随行し、漢口に報道記者として一番乗りを果たしたことが有名です。これらの従軍体験は、『戦線』(朝日新聞社、1938年)や『北岸部隊』(中央公論社、1939年)に書かれています。
     帰国後は各地で戦況報告会を行うなど精力的に活動しましたが、昭和16(1941)年に入ると文壇統制も厳しくなり、『放浪記』などが発売禁止処分を受けます。その翌年には、陸軍報道班員として南方視察に派遣され、シンガポール、ジャワ、ボルネオなどに滞在しました。このときの体験は、晩年の大作である『浮雲』(六興出版社、1951年)に記されています。
     昭和49(1974)年、小森江の芙美子生地近くに「林芙美子生誕地記念文学碑」が建てられました。碑の表には「いづくにかわが古里はなきものか」と故郷を思う芙美子の詩「てのひら草紙そうし」が刻まれています。また、旧門司三井倶楽部には、漢口従軍手帳や直筆原稿などが展示されている「林芙美子記念室」があります。芙美子の見た戦争とは何だったのか、資料に触れ、考えてみてください。

    (学芸員M)

    【参考文献】
    川本三郎『林芙美子の昭和』新書館、2003年
    北九州市立文学館編『北九州の文学 北九州市立文学館10周年記念誌』北九州市立文学館、2017年

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