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    最新の学芸員日記

    防空と「消防署」の設置

    2026/01/17

    No.122 令和8(2026)年1月17日

    『小倉消防署沿革簿』

     消火活動や救助活動、救急搬送などの拠点となる消防署。実は、北九州で最初にできた消防署は、空襲対策の一環として設置されたものでした。
     明治27(1894)年に公布された「消防組規則」で、各地域における消防組織の基準が示されました。消防組は、道府県知事が市町村ごとに設置し、消防手(消防士)およびそれを束ねる小頭こがしら組頭くみがしらは、警部長(府県警察の長)や各警察署長が任命するものとなっていました。これは、現在の消防団と似たような組織であり、消防手は普段別の仕事をしており、有事の際に消防活動にあたるという形式でした。一方で、東京や大阪では明治期から常設の消防機関および消防士が置かれており、これは大正8年(1919)年公布の「特設消防署規程」で、京都、横浜、神戸、名古屋の各都市(いわゆる「六大都市」)にも拡大されました。
     北九州においては、昭和に入ってからようやく、消防隊の常設化が進められます。門司(昭和3年)、若松(昭和5年)、小倉(昭和9年)、八幡・戸畑(昭和11年)の順に、常備消防隊が設置されました。ただし、この段階では「消防署」は設置されていません。
     昭和12(1937)年に日中戦争が始まると、空襲の危険性が高まり、防空体制の強化が図られていきます。このようななか、昭和15年には「特設消防署規程」が改正され、北九州5市に特設消防署が設置されました。「規程」の改正理由書には、北九州5市は日中戦争の影響を受けることが多く、実際に空襲の脅威にさらされていることと、軍事上きわめて重要な地域であることを鑑みて、消防署を設置するとあります(国立公文書館所蔵「公文類聚・第六十四編・昭和十五年・第七巻・官職五・官制五」)。まさに防空体制強化の一環として、消防署の設置をみたのです。
     こうして設置された消防署から、実際に空襲の際に出動し、消火活動等を行っています。例えば小倉消防署では、昭和19(1944)年6月の空襲の際には被災地の復旧作業、同年8月20日の空襲では小倉市菜園場さえんば(現 小倉北区)へのB-29墜落による火災の消火活動、昭和20(1945)年8月8日の八幡大空襲による火災の消火活動などに従事しました。これらの特設消防署は、戦後の自治体消防に引き継がれていきます。
     現在開催中の企画展「防空先進都市・北九州」(1月25日まで)では、北九州市立中央図書館所蔵の『小倉消防署沿革簿』を展示しています。展示している部分は、昭和19(1944)年5月、「防空重要都市タル当小倉市防衛」のために、福岡県内や鹿児島県内の警防団から配置転換された消防用ポンプの一覧です。消防の設備が、北九州に集中されていく様子が伺える史料といえます。ご来館の際は、ぜひご覧ください。

    (学芸員O)

    【参考文献】
    国立公文書館所蔵「公文類聚・第六十四編・昭和十五年・第七巻・官職五・官制五」、類02286100
    小倉消防署編『小倉消防署沿革簿』(1948年、市立中央図書館所蔵)
    北九州の消防50年記念誌編集委員会『北九州消防五十年のあゆみ』(北九州市消防局、1991年)
    消防防災博物館HP「消防の歴史」(https://www.bousaihaku.com/ffhistory/、令和8年1月17日最終閲覧)

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