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    最新の学芸員日記

    番外編30 陸軍、異例の補助金交付 水道敷設

    2026/08/21

    連載コラム 『想い つなぐ』

    ★西日本新聞 北九州・京築版 2026年6月18日(木)朝刊14面掲載★

     第12師団が設置され、数千人の兵士が暮らすようになった小倉では、清潔な水の確保が喫緊の課題となった。井戸水の水質が悪く、海外からの船が頻繁に出入りしていた門司港が近いため、コレラ・ペストなどの感染症の脅威に、兵士の健康が度々脅かされていたためである。
     1907(明治40)年、第12師団長を勤めていた浅田信興のぶおきの名で、当時陸軍大臣寺内正毅宛てに意見書が提出された。そこでは、井戸水の水質不良と水量の不足を指摘したうえで、水道敷設の急務を説いた。小倉市(当時)の水道敷設計画立案も師団の要請によって行われており、「焦眉の急」として水道を求めたのは、第12師団であった。
     浅田師団長は、陸軍大臣が水道整備のための国庫補助金の実現に向けて尽力するよう要望。さらにこれとは別に、陸軍省から別途、補助金を支出するよう希望している。
     小倉市は翌年、水道敷設計画を申請し、09(明治42)年に認可を受けた。総工費約123万円のうち、11万円を国庫、7万円強を県費から補助を受けたほか、浅田師団長の希望通り、15万円を陸軍省からの交付金で賄う計画となった。陸軍省から自治体へ水道敷設に関する補助金を直接出すのは異例だった。
    工事は、10年から始まり、13年6月に通水式が行われた。
    水源池は、菅生すがおの滝の下流、現在の小倉南区道原どうばる地区に建設された。そこから地下水路で小倉市街地と北方兵営に、清潔な水が供給されるようになったのである。
    通水当初、総水量の約4割を軍隊が使用しており、水道がもたらした軍への恩恵は非常に大きいものがあった。その後は、工業用水としての使用量が伸びており、北九州工業地帯の発展にも貢献している。
     この時建設された道原貯水池と浄水場は、現在も北九州市上下水道局の施設として現役であり、2009(平成21)年2月、貯水池が経済産業省の近代化産業遺産に認定された。兵営の設置が水道という都市のインフラの整備を促し、近代化の礎にもなった。そのきっかけになった浅田第12師団長が陸軍大臣宛てに提出した意見書の一部は、現在開催中の企画展「兵隊さんのまち~北方兵営とその周辺~」で展示している。

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