北九州市を灯した聖火 ~Tokyo 1964~
No.104 令和6(2024)年12月20日
1年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」。令和6(2024)年は、一般応募22万1971通の中から、1万2148票(5.47%)を集めた「金」の文字が選ばれました。オリンピック・パラリンピックでの日本人選手の活躍や、佐渡島の金山が世界文化遺産に登録されたことなど、光を表す「金(キン)」と、政治の裏金問題や止まらない物価高騰など、影を表す「金(かね)」の2つの意味を示しているそうです。
今年の漢字にも関連するオリンピックが日本で初めて開催されたのは、昭和39(1964)年東京でのことですが、実は、昭和15(1940)年にも、日本はオリンピックの開催権を得ていました。しかし、昭和12(1937)年に勃発した日中戦争は泥沼の様相を呈し、人や物資がオリンピックに投入されることへの軍部からの反対もあり、実現しませんでした。
八幡製鉄所西門前を走る聖火リレー
(出典:『北九州市史 五市合併以後』)
悲願であった東京五輪の開催は、前年に五市合併を果たした北九州市でも盛り上がりを見せました。昭和39(1964)年9月17日10時50分ごろ、オリンピック聖火ランナーが飯塚市を出発し、田川市内を通って筑豊地区を走り、15時ごろ北九州市内に入りました。九州では聖火リレー最終日ということもあり、沿道には聖火を一目見ようと大勢の人が詰めかけました。そして、観衆が見守る中、18時18分、門司区の和布刈公園に設けられた聖火台にオリンピアの火が灯されたのです。
このとき、開会式での最終聖火ランナーを、昭和20(1945)年8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則が務め、戦後日本の復興を象徴的に表しました。平和の祭典とされるオリンピック。その灯がいつまでも消えぬよう見守っていきたいです。
(学芸員M)
【参考文献】
北九州市史編さん委員会編『北九州市史 五市合併以後』、北九州市、1983年