小倉陸軍造兵廠の疎開と動員学徒 ~大分県の山中へ~
2025/01/10
No. 105 令和7(2025)年1月10日
付近には入浴場が置かれた
昭和19(1944)年以降、小倉陸軍造兵廠は空襲と本土決戦に備えるため、大分県日田等へ疎開を始めます。これを受けて、第一製造所の疎開先として選ばれたのが、中山香・立石でした。なぜここが疎開先に選定されたのかは不明ですが、日豊本線沿いで交通の便がいいこと、比較的近距離の宇佐に造兵廠の疎開工場の一つである糸口山製造所があったことなどが、選定理由の一つになったと思われます。
『学徒動員』に収録されている日誌からは、工場へ動員された学徒の置かれた状況を読み取ることができます。
工場からは学徒向けの食糧の配給がありましたが、その量は満足のいくものではありませんでした。教員の日誌には、「配給量ニテハ、現在ノ発育盛リノ学徒ニハ甚ダ不足、コレガ補給ハ絶対ニ必要ニシテコノ対策決定ニ腐心シツヽアリ。名案ナキモノヤ」(「立石監督日誌」7月1日条)と、頭を悩ませている様子が確認できます。
このような栄養不足の状況と厳しい労働環境もあり、動員中に体調を崩して寝込む学徒が続出します。医療が行き届かない状況のなか、病臥する者が絶えることはありませんでした。中には、原因不明の病気により、命を落としてしまう学徒も出ています。
そのほか、8月15日の学徒による日誌など、戦争末期の貴重な記録が収められた『学徒動員』は、市立図書館にも所蔵されています。一度、手に取って読んでみてはいかがでしょうか。
※学徒動員についても紹介している、企画展「学徒らしくあれ ~旧制中等学校の戦争史 門司・小倉編~」は来週1月13日(祝・月)まで。ぜひご来館ください!
(学芸員O)
【参考文献】
小倉中学校第36期生『学徒動員』(宅間文雄、1977年)
山香町誌編集委員会『山香町誌』(大分県速見郡山香町役場、1982年)
小倉陸軍造兵廠同窓会編『小倉陸軍造兵廠史』(小倉陸軍造兵廠同窓会、1988年)
中村弘ほか編『以文會友 入学70周年記念回想文集 旧制小倉中学36期/小倉高校1期生』(2013年)