北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    瓶づき精米

    2022/07/22

    Vol.25 令和4(2022)年7月22日(金)

     今も昔も変わらず日本人の主食となっている白米ですが、戦争の時代にはそれがなかなか食べられないような状況が続きました。

     日中戦争が始まってから2年後の、昭和14(1939)年に出された米穀(とう)(せい)等制限令によって、精米の度合いが七分()きに制限されます。この時点で、お米を白米の状態で購入することが難しくなりました。七分搗きとは、玄米から米ぬかを70%除去した状態のことをいいます。昭和16年には米の配給制度が始まり、自由にお米を手に入れることが出来なくなりました。配給される米も、昭和17年には五分搗き、同18年には二分搗きとなり、徐々に玄米に近い状態のお米が配給されるようになります。さらには、イモ類などの代用食の配給が次第に増えていきました。

     写真は、配給された玄米に近い米を、各家庭でできる限り白米に近い状態で食べるために用いられたもので、瓶の中の米を木の棒でつき、米ぬかを取り除いていました。こうした作業は当時、学校から帰宅した子どもたちの仕事になっていたそうです。

     戦時中の暮らしを再現した「体験コーナー」で、瓶づき精米をすることができます。ご来館の際はぜひ体験してみてください。

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