番外編15「戦争の『物語』からの脱却 生きとし生ける」
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2025年3月6日(木)朝刊16面掲載★
北九州市門司区を舞台に“小さな戦争”の記憶を描いた、長谷川未来先生の漫画「生きとし生ける」。
東京に住む40歳の小説家・古賀は、地元(門司)で活動する20歳のアイドル・望との出会いから、自身の祖父と望の曾祖母との間に、戦争を通じたつながりがあることを知る。
そして、歴史的な門司の風景や人々の話に触れた古賀は、門司の過去と今をつなぐ物語を書くことを決意する。
古賀の取材に同行する望ではあるものの、曾祖母の話は自分にとって大昔の出来事、実感が湧かない「他人事」であると、大して興味を持っていない。
こうした態度であった望が、2巻終盤で過去の人物の体験を想像し、「俺だったらさびしい」とつぶやく。本人にとっては、それほど意識した言葉でなかったかもしれない。しかしこれは、今まで他人事だった体験に、望が「当事者意識」を持ち始めたことにほかならないだろう。
一人ひとりの戦争体験は膨大であり、それを語り尽くすことは難しい。語られなかった体験は、他者と共有できる記憶としては、存在しえない。さらに、語られた記憶も、「戦争体験」として受け手に期待されるフレームに収まらなければ、伝わりにくい。結局、戦争の記憶という「物語」は、そうした伝わり難さのせめぎ合いによる産物なのである。
だからこそ、こうした「物語」から抜け落ちたものの中に、これからの戦争体験や記憶の継承を考えるヒントがあるのではないだろうか。
ミュージアムでの展示を行う際にも、私はこの「余白」を大事にしたいと考えている。展示から何を受け取り、考えるのか、それは観覧者に委ね、あえて「答え」を示さない。物語から脱落したものを捉える力は、そうした思考のプロセスにより、培われていくだろう。
開催中の企画展「まちとわたしたちの物語―令和6年度収蔵品展―」(4月6日まで)では、「生きとし生ける」より当館所蔵の資料と関連する場面や、印象的な場面を紹介している。
実物資料と物語が織りなすハーモニーを実際に感じてほしい。そして、この展示から抜け落ちたものを丁寧にすくい上げ、ご自身で展示を再構成していただければ幸いである。
