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    最新の学芸員日記

    北九州に縁ある「九軍神」

    2024/05/31

    No. 90 令和6(2024)年5月31日

     先日の学芸員日記でO学芸員が、真珠湾攻撃における特殊潜航艇とくしゅせんこうてい甲標的こうひょうてき)部隊に触れていましたが、この攻撃で戦死した「九軍神きゅうぐんしん」の中に北九州に縁のある人物がいます。現在の福岡県遠賀郡遠賀町出身で、東筑中学校(現 東筑高校、八幡西区)35期生の古野ふるの繁実しげみ少佐です。

    三机湾を望む/須賀公園に建立された慰霊碑(いずれも筆者撮影、2020年)

     甲標的の訓練は、愛媛県伊方町いかたちょうにある三机湾みつくえわんで行われました。三机湾は、真珠湾と地形が似ていることや、人の往来が少なく機密保持に適していたことから訓練地に選ばれたといわれています。また、古野少佐らが訓練時に滞在した「いわみや旅館」は現在も営業しており、玄関の一角には九軍神の写真や寄せ書き等が展示されています。
     甲標的は戦死を前提とした兵器ではありませんでしたが、水深の浅い真珠湾では潜伏が困難だったことや、発見された場合、狭い湾内では逃げ切れないことが予想されたため、隊員たちは出撃前に遺書等を残していたそうです。古野少佐も、「君のため何かおしまん若桜 散つて甲斐ある命なりせば」、「いざ征かむ網も機雷も乗り越えて 撃ちて真珠の玉と砕けむ」といった辞世の句を詠んでいます。
     とりわけ前者の句は有名になり、句が記された忠魂鏡が制作されたり他の兵らの辞世の句に引用されたりしました。錦町国民学校(現 門司海青小学校)の卒業アルバムには、この句を使って授業をしている写真が載っています。
     真珠湾攻撃から約3か月後に、大本営は特殊潜航艇5隻の搭乗員9名が戦死したと発表しました。九軍神には連合艦隊司令長官・山本五十六いそろくから感状が授与され、東筑中学においても、全校生徒による古野家慰問・遺品拝観が行われました。また、昭和17(1942)年4月に古野少佐の英霊帰還があると、全校を挙げて遠賀川駅まで行軍して奉迎し、翌月の遠賀村葬にも全校で参列しています。
     このように、軍神として祀り上げられた古野少佐はじめ九軍神でしたが、実は、特殊潜航艇5隻の搭乗員は10名であり、うち一人が米軍の捕虜になっていたことは戦後まで隠匿されていました。美談として仕立て上げられたストーリーの裏には、残された家族や戦友の葛藤もあったのです。軍神としてではなく一人の人間の言葉として、彼らが遺した言葉を改めて読んでみようと思いました。

    (学芸員M)

    【参考文献】
    東筑百年史編集委員会編『福岡県立東筑高等学校 創立一〇〇周年記念誌 東筑百年史』、福岡県立東筑高等学校、1998年
    『東京東筑会報 第9号』、東京東筑会事務局、1991年
    NHKアーカイブス「真珠湾の九軍神」、
    https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001200113_00000&chapter=001、2024年5月30日閲覧

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