北九州市平和のまちミュージアム
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    入館は 17:30 まで

    学芸員日記

    北九州への空襲に使用された焼夷弾

    2022/07/29

    Vol.26 令和4(2022)年7月29日(金)

     昭和19(1944)年から翌年にかけて、北九州は13回におよぶアメリカ軍による空襲をうけました。特に昭和20年に入ると、市街地を目標とした焼夷弾(しょういだん)爆撃が行われるようになりました。その中でも被害が大きかったのが、6月29日の門司市・下関市への空襲と、8月8日の八幡市への空襲(八幡大空襲)です。この2つの空襲では、さまざまな種類の焼夷弾が使われていました。
     関門地区への空襲で用いられたのは、AN-M47A2焼夷爆弾(M47焼夷爆弾)と、M69焼夷弾をたばねたE46集束(しゅうそく)焼夷弾でした。M47焼夷爆弾とM69焼夷弾の内部には、ガソリンやココナッツ油などを混ぜたゼリー状の燃料が詰められており、地上に落下するとその燃料が燃えながら飛び散り、家屋などを焼き払いました。こういった焼夷弾を、ナパーム弾と呼びます。
    門司の空襲を体験された方は、「投下された焼夷弾が炸裂(さくれつ)し、その破片が火の玉となって両側の建物にペッタリ、ガムのようにくっつく」のを目撃しています。これは、ナパーム弾の特徴をよくあらわした証言といえます。

     一方、八幡大空襲で最も多く用いられたのは、M50焼夷弾(写真)をたばねたM17集束焼夷弾でした(一部M69焼夷弾も使用)。M50焼夷弾は、テルミット・マグネシウム焼夷弾と呼ばれる化学反応を用いたもので、酸化鉄とアルミニウムの還元反応による約2,300℃の高熱で外側を包むマグネシウムを燃やします。地面へと着弾すると閃光を発しながら火花をまき散らし、火災を発生させました。一般家屋だけでなく、市街地に混在する工場等もターゲットとしたため、家屋を貫通する力が強く、着火力も強いM50焼夷弾が選ばれたのでした。八幡大空襲の際、「狭い部屋の畳の上に2本の焼夷弾が花火のように火を吹いて」いるのを目撃し、消火しようとして水をかけても消えなかったという体験をされている方がいらっしゃいます。これも、M50焼夷弾の特徴がよくわかる証言といえるでしょう。化学反応を利用した焼夷弾だったので、火を消すことができなかったのです。
     このような焼夷弾により、門司や八幡の市街地は大きな被害を受けました。ミュージアムの「広がる戦争と空襲」ゾーンでは、八幡に投下された焼夷弾の実物の展示をしていますし、M50焼夷弾の模型に触れて重さを感じることができます。ご来館の際はぜひご覧ください。

    【参考文献】

    奥住喜重・工藤洋三訳・編『米軍資料 北九州の空襲』(北九州の戦争を記録する会、2002年)
    北九州市総務局総務課編『後世に語り継ぐ北九州市民の戦争体験』(北九州市総務局総務課、2016年)

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