平和のまちミュージアムの場所には、むかし何があったのか
Vol.21 令和4年6月24日(金)
平和のまちミュージアムは、勝山公園北側の木々に囲まれた場所に建っています。ここは江戸時代、小倉城内の「御用屋敷」がおかれていた場所でした。御用屋敷とは、藩の公用のために設けられた役所のようなものです。ミュージアム南東側の土塁は、17世紀には既に構築されていたと推定されます。
明治時代に入り、小倉城内に歩兵第14連隊が設置されると、この場所には弾薬庫が作られました。明治10(1877)年ごろには既に存在し、昭和3(1928)年の14連隊の北方移転まで利用されていたようです。ミュージアム建設前の発掘調査では、弾薬庫本体部分の基礎と入り口部分の石敷遺構が確認されています。
その後、昭和8年に陸軍造兵廠小倉工廠(のち小倉陸軍造兵廠)が開設されると、弾薬庫跡には東京砲兵工廠から「錦春稲荷神社」が移されることになりました。石鳥居やお狐石、灯篭、手洗い石なども東京から移され、境内に置かれました。この神社は戦時中、造兵廠の従業員にとっては「必勝報国の精神的象徴」であり、多くの人たちが神社に誓いを立てて出征していったそうです。昭和20年に造兵廠本部が大分県日田に疎開する際に、同地の「大原八幡宮」境内に移され、現存しています(なお、終戦直後には「錦春稲荷神社」の分霊が「到津八幡神社」境内の「勘定稲荷神社」に合祀されています)。
ご来館の際は、ぜひミュージアムが建っている場所の昔の姿を想像しながら、周辺を散策してみてください。
【参考文献】
小倉陸軍造兵廠同窓会編『小倉陸軍造兵廠史』(小倉陸軍造兵廠同窓会、1988)
小倉陸軍造兵廠同窓会編『小倉陸軍造兵廠史』(小倉陸軍造兵廠同窓会、1988)
安部和城編著『北九州市埋蔵文化財調査報告書586 小倉城御用屋敷跡』(北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室、2019)
佐藤浩司編著『北九州市埋蔵文化財調査報告書594 小倉城御用屋敷跡第2地点』(北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室、2020)
佐藤浩司編著『北九州市埋蔵文化財調査報告書594 小倉城御用屋敷跡第2地点』(北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室、2020)
北九州市立自然史・歴史博物館編『小倉城と城下町』(海鳥社、2020)