さくら~平和への願いを込めて~
No.59 令和5(2023)年3月24日
日本気象協会の予報によると、今年の桜満開予想は明日(25日)だそうです。平和のまちミュージアムの近くにある「嘉代子桜・親子桜」の見ごろは今か今かと職員も心待ちにしています。この嘉代子桜・親子桜がどういう由来をもっているか知っていますか。
昭和20(1945)年8月9日、長崎に投下された原子爆弾。爆心地からわずか500mほどの場所にあった城山国民学校(現 城山小学校)では、1400余名の児童、28名の教職員、105名の学徒報国隊員など多くの尊い命が失われました。
当時、城山国民学校は三菱兵器製作所の事務室として使われていました。そこで学徒報国隊員の一人として働いていたのが、林嘉代子さん(当時15歳、長崎県立高等女学校4年生)です。8月9日、城山国民学校へ仕事に出かけたまま、嘉代子さんは家に帰ってきませんでした。建物の下敷きになったり大火傷を負ったりして、顔がわからない死体も多い中、嘉代子さんのお母さんは、嘉代子さんの歯並びの特徴をもとに嘉代子さんを探し続けました。そして、被爆後21日たった8月30日の夕方、崩れた校舎の3階で上半身だけが焼け残った嘉代子さんの遺体をやっと見つけました。
嘉代子さんのお母さんは、花が好きだった娘を偲ぶ気持ちと平和への願いを込めて、城山小学校に50本の桜を植えました。その桜は「嘉代子桜」と呼ばれ、現在も残る6本の木が、春には城山小学校の校庭を彩っています。
(勝山公園の嘉代子桜・親子桜)
昭和20(1945)年8月9日の原爆は、当初、小倉陸軍造兵廠を目標としていましたが、小倉上空が視界不良であったため、第二目標であった長崎に投下されました。このことから北九州市では、平和への願いが込められた嘉代子桜に由来する桜を「嘉代子桜・親子桜」と名付け、市内の学校や公園等に平成21(2009)年から植樹しています。春の風物詩を楽しみつつ、咲き誇る花の中に込められた想いも感じてみてください。
(学芸員M)
【参考文献】
山本典人『かよこ桜』、新日本出版社、1981年