乾杯!北九州の麦酒
No.61 令和5(2023)年4月7日
平和のまちミュージアム周辺の桜は連日の雨で散ってしまい、お花見もひと段落した様子です。新年度に入り、いまは歓送迎会シーズンでしょうか。「とりあえず生!」とビールを頼む方もいると思いますが、北九州のビールといえば何を思い浮かべますか。
門司にある門司赤煉瓦プレイス一帯では、かつて帝国麦酒株式会社がサクラビールを醸造していました。帝国麦酒株式会社は鈴木商店(神戸市)の支援により、明治45(1912)年5月に設立された九州初の本格的ビールメーカーです。大正4(1915)年には、国内向けに毎日2500箱(1箱4ダース)のサクラビールを出荷したほか、上海、香港などへも輸出していました。
門司は国際港および鉄道の要所であったため、サクラビールは国内外に広く出荷されました。とりわけ南洋方面への輸出が盛んで、大正5(1916)年11月までに門司港からの輸出額は70万円余り(大正時代の平均月給30~60円)に達し、日本のビールはサクラビールと世界に称賛されるほどでした。製造当初、原料である大麦はアメリカ、ホップはロシアから輸入していましたが、この頃には、海上運賃の高騰や輸送の不便さから、国産品の使用に切り替えています。
(旧サッポロビール醸造棟)
サクラビールは最盛期、国内第3位となる国内シェア約9%を誇りました。昭和2(1927)年には提携先である鈴木商店の破綻を乗り越え、昭和4(1929)年に桜麦酒株式会社と改称して製造を続けています。しかし、戦争中の製造制限によって企業整備の対象となり、昭和18(1943)年、大日本麦酒株式会社に統合され、その歴史に幕を下ろしました。
戦後、サクラビールのブランドと門司工場は日本麦酒株式会社(現 サッポロホールディングス)に継承され、平成12(2000)年まで操業していました。サッポロビールは、この歴史あるビールの味わいを再現しつつ、現代風にアレンジしたサクラビールを限定販売しています。また、北九州の門司港レトロビール株式会社はサッポロビールの許諾を受け、当時の特徴を再現したサクラビールを製造しています。かつて世界に称賛された歴史ある北九州のビールで乾杯してみませんか。
(学芸員M)
【参考文献】
北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代』産業・経済Ⅰ、北九州市、1991年