体験コーナーのラジオ放送
Vol.22 令和4(2022)年7月1日(金)
大正14(1925)年に始まったラジオ放送は、戦前の一般市民にとって大切な情報入手手段でした。特に戦時中は、戦況に関する報道に多くの国民が耳をかたむけていました。一方で政府や軍は、国民の戦意を高揚させるためにラジオを活用していました。
戦時中の暮らしを再現した「体験コーナー」では、戦時中実際に流れていたラジオ放送を6種類放送しています。どのような音声が再生されているのかを、簡単にご紹介します。
①大本営海軍部報道課長平出英夫によるミッドウェー海戦解説
ミッドウェー海戦(昭和17年6月)に関するラジオ放送です。空母4隻を失うなど、この海戦は日本の敗北に終わり、これ以降徐々に戦局は悪化していくこととなります。また、日本軍の戦果を伝える「大本営発表」も、この海戦以降事実とかけ離れた発表を行うようになったといわれています。
②「軍艦行進曲」
明治33(1900)年に誕生した行進曲で、海軍の代表的な軍歌として盛んに演奏されていました。戦時中、海軍の戦果を伝える大本営発表の前に、頻繁に流されていた曲です。
③上原敏「上海だより」
④上原敏「曠野の進軍」
上原敏は昭和10年代に多くのヒット曲を歌った歌手です。「上海だより」と「曠野の進軍」はどちらも昭和13(1938)年の曲で、中国の戦地における兵士の心情を歌っています。上原自身ものちに兵士として召集をうけ、昭和19年にニューギニアで戦死しています。
⑤「陸軍少年戦車兵学校」
陸軍少年戦車兵学校は、静岡県富士宮市にあった陸軍の学校で、14歳から19歳の少年を戦車兵として養成していました。この音声は戦車兵学校の様子をリポートした番組の一部で、教官と生徒とのやり取りが紹介されています。
⑥「起て一億の夕」
戦況が悪化するなか、昭和19年11月に国民の戦意を高揚させるために日比谷公会堂で行われた、「献納国民歌」発表を中継したものです。「決戦の秋は来たれり」「起て一億」の2曲が発表され、このうち前者がラジオ音声の冒頭で流されています。そして、国民に「勝利の日まで戦い抜く」ことを訴えています。
ご来館された際は、館内で流れるラジオにも耳をかたむけてみてください。