到津球場 ~小倉で魅せるベーブ・ルース~
No.100 令和6(2024)年10月25日
明日、26日からプロ野球の日本シリーズが開催されますね。今年はパ・リーグから福岡ソフトバンクホークスが進出を決め、県内で盛り上がっている様子が伺えます。小倉には、ホークスの準本拠地「北九州市民球場」があり、年に数回試合が開催されているので、観戦したことがある人も多いのではないでしょうか。
今では身近となったプロ野球(職業野球)の試合ですが、北九州の市民が地元ではじめてプロの野球に触れたのは、昭和9(1934)年、小倉市(現 北九州市小倉北区)の「到津球場」でのことでした。到津球場は大正12(1923)年に完成し、翌年開場した右翼125m、左翼85mの変型球場で、門司鉄道局のホームグラウンドでした。戦前の到津球場は、主に社会人野球や学生野球の会場、また、陸上競技場としても使用されていました。とりわけ人気を博したのが、門司鉄道局と八幡製鐵所の対抗戦、いわゆる「製門戦」でした。
昭和9(1934)年11月~12月に日米野球が全18試合行われ、11月26日には到津球場で第15戦が開催されました。7回裏、中止も検討されるほどの大雨の中、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルース選手が右翼スタンドを越える本塁打を放った記録が残っています。これは、予告ホーマーだったといわれています。試合は8−1で全米軍が制しました。
この日米野球に出場した全日本軍の選手を中心に、本格的なプロ野球集団「大日本東京野球倶楽部(現 読売ジャイアンツ)」が結成されました。その中には、小倉工業学校(現 小倉工業高等学校)出身で甲子園出場の経験があり、卒業後は門司鉄道局の4番打者として活躍した新富卯三郎選手もいました。日米野球で新富選手は、ホームラン(日本人選手の本塁打合計3本のうちの1本)を放つ活躍を見せています。
小倉到津球場跡の記念碑(2024年2月撮影)
戦争中に到津球場は廃止され、現在その跡地は商業施設になっていますが、その一角には、かつてここに球場があったことを示す記念碑があります。記念碑には、ベーブ・ルース選手がホームランを打ったときの写真や、当時のスターティングメンバー、スコアなども記されています。
かつて九州の野球ファンを湧かしたプレーに魅了されつつ、今年こそホークスが日本一を獲れるよう私も全力で応援したいと思います!
(学芸員M)
【参考文献】
東田一朔『プロ野球誕生前夜―球史の空白をうめる』東海大学出版会、1989年
ロバート・K・フィッツ著、山田美明訳『大戦前夜のベーブ・ルース 野球と戦争と暗殺者』原書房、2013年