北九州の高射砲・照空陣地
2022/09/16
Vol.33 令和4(2022)年9月16日
戦時中の北九州地域には、敵機による空襲にそなえて、たくさんの高射砲陣地や照空陣地(サーチライト)が整備されていました。『福岡県の戦争遺跡』(福岡県教育委員会、2020年)によると、現在の北九州市域に設置されていた高射砲陣地は33か所、照空陣地は44か所にのぼります。
高射砲陣地には、写真のような7センチ高射砲や8センチ高射砲などが設置され、敵機の来襲にそなえていました。戦争末期、若松区の総牟田(灘山)の高射砲陣地には、高高度のB-29を撃ち落とすことのできる12センチ高射砲が配備されていたと言われています。
戦争中、風師山(門司区)の高射砲陣地近くにお住まいだった方は、次のように思い出を語られています。
「戦争中、一番怖かったのは高射砲の音でした。風師山の麓に住んでいましたから、山が揺れるようなものすごい音で、頭の上に落ちてくるんじゃないかと、防空壕の中で震えていたのを覚えています。」(『聞き書きでのこす門司の記憶 未来への伝言』、聞き書きボランティアともがき隊、2021年)
実際に、砲弾の破片が市街地へ落下する、ということも起きていました。その一方で、高射砲による戦果はわずかであり、アメリカ軍による北九州への大規模な空襲を許すことになりました。
現在開催中の企画展「“軍都”北九州の歩みとその痕跡」では、北九州地域の高射砲陣地や、高射砲部隊に所属していた方の軍隊手帳などを紹介・展示しています。ぜひご覧ください! (学芸員O)