北九州市の誕生日
No.53 令和5(2023)年2月10日
本日(2月10日)は、北九州市誕生からちょうど60周年です!記念すべき誕生日回ということで、いかにして北九州市が生まれたのかを紹介します。
北九州市はもともと門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5つの市に分かれており、さまざまな組み合わせで明治時代より合併が論議されてきました。本格的な5市合併協議が行われだしたのは、昭和9(1934)年頃からです。当時の福岡県知事により5市合併についての調査が命じられ、翌年、合併推進が決定されたものの、5市の意見は一致しませんでした。昭和18(1943)年には、下関を含めた6市合併の案も出ましたが、これも足並みは揃いませんでした。終戦後、昭和21(1946)年から昭和26(1951)年にかけては、マスメディアによる合併キャンペーンが展開され、「百万人の都市づくり」というキャッチコピーは、戦後の生活困難にあえぐ市民に多くの夢を与えました。
合併がなかなかまとまらないのは、合併により自地域が場末となってしまうのではという心理的な不安が大きかったようです。しかし、昭和30年代に入ると、産業基盤の脆弱性、都市基盤の未熟さが露呈するようになり、北九州工業地帯の新しい展望をひらくため、広域的・総合的・計画的な開発が迫られるようになりました。
そこで転機となったのは、昭和35(1960)年、磯村英一東京都立大学教授(当時)による5市の特徴を活かしつつ、各市を交通網で結ぶことで新都市の一体性を図るという「多核都市論」の提案でした。場末論に対する不安が払拭されたことで、ついに、昭和38(1963)年2月10日、世界でも類を見ない5市対等合併により「北九州市」が誕生しました。
現在、平和のまちミュージアムでは市制60周年記念事業として、企画展「北九州市ができるまで~戦後復興の軌跡~」を開催しています。明日(11日)は、初の試みとなるギャラリートーク(展示解説)も行います。この機会にぜひ、皆様のご来館をお待ちしています!
(学芸員M)
【参考文献】
北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代』行政・社会、北九州市、1987年