北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    占領軍の進駐

    2023/02/17

    No. 54 令和5(2023)年2月17日

    (米国国立公文書館所蔵)

     昭和20(1945)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏しました。同年9月2日の降伏文書調印後、連合国軍による占領統治が開始されると、各地に占領軍が進駐していきます。9月3日に鹿児島県鹿屋(かのや)へ入った部隊が、九州で最初に到着した部隊でした。

     北九州には、10月6日、門司港に先遣隊が入り、11日に主力が到着、翌日から関門海峡の掃海(そうかい)機雷(きらい)除去)を開始します。その後、18日には小倉に第32歩兵師団の部隊が到着しました。

     占領軍は北九州へ到着すると、日本陸軍が使用していた場所や建物等を接収していきます。このとき、小倉陸軍造兵廠や造兵廠技能者養成所、北方の歩兵第14連隊兵舎、さらには小倉室町にあった玉屋デパートの一部も接収されました。

     昭和21年5月には、第24歩兵師団が北九州へ来駐します。この師団は、初めて小倉に司令部を設置し、占領統治にあたりました。旧造兵廠の本館は司令部として使われ、戸畑の松本健次郎邸(現 西日本工業倶楽部)は師団長官舎として利用されたのです。戸畑から小倉までの道路には、左右に道路標識が100m間隔で設置され、俗に「マッカーサー道路」と呼ばれました。北九州の街頭では、アメリカ兵がチョコレートやチューイングガムなどを子どもたちへ分け与えていたといいます。

     こうして、良くも悪くも、北九州は占領軍との関わりの中で戦後復興を進めていく必要がありました。昭和21年、小倉に英語教育を行う「小倉外事専門学校」(現 北九州市立大学)が開校したのも、当時の社会情勢がよく表れている出来事といえます。

     現在開催中の企画展「北九州市ができるまで ~戦後復興の軌跡~」では、北九州と占領軍の関わりについて、写真を交えて紹介しています。ぜひご覧ください!

    (学芸員O)

    【参考文献】

    北九州市史編さん委員会編『北九州市 近代・現代』教育・文化(北九州市、1986年)

    同編『北九州市史 近代・現代』行政・社会(北九州市、1987年)

    毎日新聞西部本社『激動二十年 福岡県の戦後史』(葦書房、1994年、原本1965年)

    北九州市総務局総務課編『後世に語り継ぐ北九州市民の戦争体験』(北九州市総務局総務課、2016年)

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