原子爆弾投下目標だった小倉
Vol.17 令和4(2022)年5月27日(金)
昭和20(1945)年8月9日に長崎へ投下された原子爆弾の第1目標は、小倉のまち、特に現在「平和のまちミュージアム」が建っている場所にあった小倉陸軍造兵廠でした。
アメリカでは1945年4月末から原子爆弾投下候補地の選定が始まりました。木造家屋の密集地があること、効果を測定するための一定の広さがあること、軍事的価値があること、空襲の被害が少ないことなどを条件として検討が始まり、翌5月には京都・広島・横浜・小倉の4都市が候補地として選ばれました。7月25日には、小倉を広島に次ぐ第2の投下目標とする命令書が出されています。最初の原子爆弾が8月6日に予定通り広島に投下されたため、8月9日の投下目標は第1目標が小倉、第2目標が長崎とされました。
9日の朝、小倉へ飛来したB29は、投下目標が目視できずにそのまま長崎へと飛び去り、原子爆弾を投下しています(投下に際しては、目標を目視しての実行が義務付けられていました)。なぜ小倉上空の視界が悪かったのかという点については諸説ありますが、前日の八幡大空襲の煙が影響したという説が有力です。
終戦後、小倉が原子爆弾の投下目標であったことが明らかになると、当時の濱田良祐小倉市長は声明文を発しています(写真)。
この資料で濱田市長は、原子爆弾で亡くなった長崎の人々へ哀悼の意を示すとともに、小倉市民は「八月九日を忘れるな!」をモットーとして戦後復興に取り組むべきであると述べています。
原子爆弾投下およびこの声明文については、「広がる戦争と空襲」ゾーンで展示をしています。また、実際に長崎で被爆した物品を展示した開館記念企画展「原子爆弾と“パンプキン”」を8月28日まで開催しています。
みなさま、ぜひご覧ください。