学校にあった奉安殿
2023/09/22
No. 73 令和5(2023)年9月22日
9月16日(土)から、企画展「われら少国民 ~戦時下の子どもたち~」が始まりました。その中では、戦前の小学校(国民学校)に設置されていた、奉安殿について紹介しています。
北九州地域において、奉安殿は大正末期から盛んに建設されはじめました。奉安殿のなかには、天皇・皇后の写真(御真影といいます)がおさめられ、児童がその前を通る際には、深くお辞儀(最敬礼)をしなければなりませんでした。もしお辞儀が不十分であった場合、先生から厳しく指導されることも多々あったようです。奉安殿は、子どもたちが「天皇への忠誠」を学ぶための施設であったといえます。
奉安殿の中に収められていた御真影は、空襲の際、先生たちの命よりも大事なものとして位置づけられました。例えば黒崎国民学校(現 黒崎中央小学校)の防空方針には、「死を以って御真影の奉護に任ずるの敢闘精神を堅持し、児童身命の保護と校舎校具の万全を期す」との記載があり、御真影をまもることが何よりも大事なことであったことが分かります。
戦争が終わると、校内から奉安殿は撤去され、御真影は焼却(奉焼)されました。上の写真は、北九州市内に唯一現存する、楠橋国民学校(現 楠橋小学校)の奉安殿です。終戦後に、近くの広旗八幡宮境内に移され、現存しています。
(学芸員O)
【参考文献】
『黒崎学校百年史』(北九州市立黒崎小学校創立百周年記念事業委員会、1974年)