学校記念誌を渉猟する
2023/07/21
No. 69 令和5(2023)年7月21日
最近、北九州市内の小学校が刊行した、記念誌の調査を行っています。
太平洋戦争期、小学校は「国民学校」と呼ばれ、「皇国ノ道」に則った教育が行われました(戦時中の小学校については、学芸員日記46「戦時下の小学校」でも紹介しています)。戦争が終結した昭和20(1945)年時点で、現在の小学校にあたる初等科をもつ市町村立の国民学校は、門司市に17校、小倉市に25校、企救郡東谷村に2校、若松市に8校、八幡市に20校、遠賀郡香月町に2校、鞍手郡木屋瀬町に1校、戸畑市に6校、計81校ありました(分校・分教場を除く)。このほか、官立の福岡第二師範学校附属国民学校(現 福岡教育大学附属小学校)、炭鉱労働者の子どもが通った私立貝島大辻学校(現 香月小学校)、安川敬一郎・松本健次郎が創設した私立明治学園(現 明治学園小学校)が、北九州地域には存在していました。
これらの古い歴史を持つ小学校は、○○周年を迎えた時や、学校統合の際に、記念誌の刊行を行っていることがあります。こういった記念誌を調査して、戦争中、各学校がどのような様子であったのかを調べています。
調べを進めていくと、広い北九州地域内では、学校の様子も地域によって違いがあることが分かります。疎開で子どもの数が大幅に減った学校、空襲で校舎を失った学校、校内に軍隊が駐屯していた学校、軍需用の松脂を採集していた学校…。それぞれの学校の様子を調べることで、北九州の各地域の子どもたちがどのような生活をしていたのかが分かってくると考えています。
調査の成果は、9月より開催予定の企画展で活用する予定です。
(学芸員O)