小伊藤山の悲劇
2022/07/15
Vol.24 令和4(2022)年7月15日(金)
八幡駅近くの小伊藤山公園に、上の写真の慰霊塔があります。これは、戦災で亡くなられた方の霊を慰めるために、昭和27(1952)年に旧八幡市が建立したものです。
なぜこの地に、慰霊塔が建てられているのでしょうか? それは、ここにかつて、多くの犠牲者を出した防空壕が存在したからです。
戦争中、ここには小伊藤山と呼ばれる小山があり、周囲には住宅地が広がっていました。そのため、住民が避難するための防空壕が複数掘られており、八幡市内で最大級の防空壕とも言われていたそうです。
昭和20年8月8日の八幡大空襲では、200機を超えるB-29が飛来し、大量の焼夷弾を投下しました。小伊藤山の防空壕には数多くの避難者が詰めかけており、満員の状態でした。複数あった壕の入口の一つが爆撃によりふさがれ、多くの方々が窒息により亡くなったのです。その数は約300名と言われています。この日の空襲の死者が約1800人ですので、およそ6分の1の方がここで亡くなったことになります。
戦後、復興事業が進むなかで小伊藤山は切り崩されましたが、この慰霊塔が、ここで起きた悲劇を伝えています。ミュージアム内の360度シアター「運命の昭和20年8月8日・9日」でも小伊藤山で起きたことを紹介していますので、ぜひご覧ください。