山田緑地に潜む戦争の爪痕~山田弾薬庫を訪れて~
Vol.41 令和4(2022)年11月11日
福岡県が実施した戦争遺跡調査によると、北九州市には204の戦跡があるとされています。私有地や立入禁止区域となって見られないものも多くありますが、今回は歩いて回ることのできる戦跡を訪れてみました。
小倉北区の南西部に位置し、約140ha(東京ドーム30個分)という広大な面積を誇る山田緑地。現在は自然豊かな市民の憩いの場ですが、かつては日本軍やアメリカ軍に弾薬庫として使用されていました。
昭和9(1934)年に日本軍が弾薬庫の建設・使用を開始し、昭和16(1941)年には山田弾薬庫を含む現在の規模にまで拡張して、西日本最大級の弾薬庫となりました。山田弾薬庫は、火薬の保管および装填所として、主に小倉陸軍造兵廠の弾薬填薬所として使用されました。終戦後はアメリカ軍に接収され、朝鮮戦争やベトナム戦争では、山田弾薬庫から弾薬が運び出されたとも言われています。
また、終戦後に一の谷4号火薬庫が大爆発を起こし、蕨採りや燃料の薪として使う弾薬箱を取りに敷地に入っていた住民62名が犠牲となったほか、多くの負傷者が出るという悲惨な事故もありました。
昭和45(1970)年に弾薬庫が閉鎖された後、昭和61(1986)年には大蔵省(現 財務省)、防衛庁(現 防衛省)、北九州市で三分割の上、管理していくことが決定しました。現在、北九州市管轄の一般利用可能区域で見られる弾薬庫は11箇所あります。
鬱蒼とした茂みの中から突如現れる弾薬庫の門。約半世紀にわたり一般の人々の立ち入りが制限されたため森の環境が保たれており、注意して歩かないと見落としてしまいそうです。森のゲートを抜けてすぐ正面右手にある弾薬庫跡は、比較的整備されており、看板も立っているので見つけやすいかと思います。
天気の良い日にウォーキングがてら戦跡探索に出かけるのもお勧めです。自然に癒されつつ、平和へ想いを馳せてみてください。
(学芸員M)
【参考文献】
林博史編「地域のなかの軍隊6 九州・沖縄 大陸・南方膨張の拠点」吉川弘文館、2015年
福岡県教育委員会「福岡県の戦争遺跡」福岡県文化財調査報告書274、2020年