戦時下のひなまつり
2023/03/03
No. 56 令和5(2023)年3月3日
(『写真週報』261号より)
今日、3月3日は桃の節句、ひなまつりの日です。女の子の健やかな成長を願う年中行事であり、もちろん戦争の時代においても行われていました。ただし、そのやり方は現在とは少し異なる部分もあったようです。
昭和18(1943)年3月3日に発行された『写真週報』261号には、「隣組で雛祭」と題して、戦時下のひなまつりの様子が報じられています。
その記事では、今までのように華美に流れた(派手な)ひなまつりは、国を挙げて戦っている現在ではふさわしいものとはいえないとして、大日本婦人会が奨励する隣組(行政の指導により、配給切符の割当や防空活動等を行う住民組織)単位のひなまつりを紹介しています。それは、隣組または班の中から一軒の家を会場とし、そこに各家からおひなさまや手製のひな人形などを持ち寄って、子どもたちの将来を祝いながら隣組の親睦も兼ねる集まりにするというものでした。
記事にはひな壇が写った写真がありますが、そこには兵士の人形を含む多数の手製の人形が並べられています。壁には、「お雛様のやうに優しく 兵隊さんのやうに強く」と書かれた習字が貼られていることも確認できます。これらの手製の人形や習字は、ひなまつりが終わった後に慰問品として、隣組から出征している兵士に送られていたそうです。
このようなひなまつりが実際にどの程度行われていたのかは不明な点も多いです。しかし、伝統的な年中行事も、戦争の影響を避けては通れなかったとはいえるのではないでしょうか。
(学芸員O)
【参考文献】 情報局編『写真週報』261号(内閣印刷局、1943年)