映画の日 ~北九州国際映画祭に寄せて~
No.78 令和5(2023)年12月1日
12月1日は、日本における映画産業発祥(日本初の映画有料公開)を記念する日として「映画の日」に制定されています。お得に映画を鑑賞できる日として、楽しみにされている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
日本における映画の初上映は、明治29(1896)年、神戸でのことでした。北九州では、小倉大門町の稲荷座で興行する様子が、明治31(1898)年6月24日付の門司新報で報じられています。当初、映画は芝居小屋等で巡業隊により上演されていましたが、明治43(1910)年、「電気館」と称する映画館が門司(港町鎮西橋西手)に誕生しました。実は、これは北九州のみならず、県内初の映画館でした。
国内での映画の普及は、戦争とともにありました。映画はその記録性を見出され、とりわけニュース映画が発達します。映画は戦地の様子を映像と音でリアルに伝える媒体として、人びとの関心を集めたのです。家族や知り合いを戦地に送った人びとは肉親の姿を求めて、あるいは、戦場での華々しい戦果にふれたいという欲求から映画館へ通いました。さらにニュース映画は、日中戦争を機に配給数も映画館数も一挙に増加しました。
昭和5(1930)年頃、福岡県内の映画館数は70館と、東京(226館)、大阪(127館)、北海道(72館)に続き、全国4番目の数であり、このうち約20館は北九州5市にありました。さらに、昭和15(1940)年には、その数は約40館に増えています。福岡県統計書によると、県民は年平均9回映画鑑賞を楽しんでいたそうです。ただし、北九州においては、青少年の映画鑑賞は学校の許可を要したとの記録も残っており、気軽に映画を楽しめないという側面もあったようです。
昭和14(1939)年に、国民教育上有益な映画の認定や文化映画およびニュース映画の強制上映などを定めた「映画法」が定められると、映画における戦時統制が一層進められます。しかし、統制下でも映画が国民最大の娯楽であったことから、映画館数は昭和17(1942)年にピークを迎えています。
この頃、門司には8館の映画館がありましたが、企業整備(民需産業の再編・統合、軍需産業への転換)や空襲での焼失により、終戦まで残ったのは1館のみでした。また、同じく空襲の激しかった八幡では、終戦までにすべての映画館が焼失しました。
北九州市は全国に先駆けてフィルム・コミッションの取り組みを行う等、「映画の街・北九州」として発信を続けています。今月13日(水)~17日(日)、北九州市で初となる国際映画祭「北九州国際映画祭」が開催されます。映画文化と北九州の歴史を感じつつ、イベントを楽しみたいですね。
(学芸員M)
【参考文献】
北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代』教育・文化(北九州市、1986年)
能間義弘『図説福岡県映画史発掘 戦前編』(国書刊行会、1984年)