永井隆博士の手紙
Vol.48 令和5(2023)年1月6日
学芸員日記をご覧のみなさま、明けましておめでとうございます。本年も、平和のまちミュージアムをどうぞよろしくお願いいたします。
新年最初の学芸員日記は、現在開催中の企画展からの話題です。
いま開催中の企画展、「令和4年度 収蔵品展」では、『長崎の鐘』や『この子を残して』などの著書で有名な永井隆博士に関係する資料を展示しています。
永井博士は明治41(1908)年に島根県で生まれ、長崎医科大学(現 長崎大学)へ入学、放射線医師となりました。母校で教鞭を執りつつ、結核予防の集団検診などに取り組んでいましたが、放射線を過量に受け続けた結果、慢性骨髄性白血病を患い、昭和20(1945)年6月には余命3年を宣告されてしまいます。その直後の8月には、長崎に投下された原子爆弾によって重傷を負いながらも、被爆者の救護活動を行いました。戦後は原爆症の研究に取り組むとともに随筆等の執筆も行い、数多くの名著を遺して、昭和26(1951)年5月にその生涯を終えています。
現在展示中の資料の中には、戦後に永井博士から小倉在住の方へ送られた手紙類があります。小倉出身で長崎医科大学の学生だった方(以下、「故人」)が長崎原爆により亡くなられたのですが、戦後、その方の級担任であった永井博士とご遺族の間で交流が生まれ、手紙や贈答品のやり取りなどが行われていました。
手紙の中で永井博士は、故人の声に励まされ、「泣かず、あわてず」、最後まで研究を続けると述べています。また、『生命の河』という著書を執筆して、故人の霊前にささげ得たことは、故人にとって喜んでもらえる供養の一つになったのではないかとも記しています。長崎に落ちた原子爆弾による犠牲者や、その遺族の思いに応えようとする永井博士の姿が浮かび上がってきます。
企画展もあと2週間ほどとなり、残り会期が少なくなってきました。この機会に、ぜひご覧ください。
(学芸員O)