番外編3「想像力 共感力 そして対話 紛争のない社会」
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2023年9月21日(木)朝刊20面掲載★
「これからも平和が続きますように」。平和のまちミュージアムの感想などを来館者が書く展示「平和の樹」に、よくつづられている言葉だ。ただ違和感も覚えてしまう。果たして、今は「平和」な時代なのか。
「平和」という言葉は、非常に抽象的な概念である。しばしば「平和」を巡って対立が起こるのも、そのゆえんであろう。
「平和学の父」といわれるノルウェーの学者ヨハン・ガルトゥングは、平和を「暴力の不在」だと定義する。ここでいう「暴力」とは、私たちがイメージしやすい戦争や虐殺といった「直接的暴力」だけを指すのではない。差別や貧困、不平等など、社会構造に組み込まれて容易に可視化できない「構造的暴力」、これらの暴力を正当化する考え方や物事の見方をする「文化的暴力」をも含む。
一般的に「平和教育=戦争を学ぶこと」だと考えがちだ。でも実はそうではない。日常生活のさまざまな対立や矛盾にどう対処するかを学ぶことが「平和教育」だと考える。身近な衝突を解消することが、戦争や紛争のない社会づくりにもつながっていくのだ。
かつて、私が広島の大学院で研究をしていたころ、ウクライナに住む旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故の被ばく者を訪ねた。彼らは開口一番、「ヒロシマも大変だったでしょう」と声をかけてきた。
私は身内に被爆者もいなければ、広島出身でもない。それでもウクライナの人は、ある意味「同士」として捉えてくれたのである。
このようなシンパシーを、私たちはウクライナの人に感じることがあるだろうか。いまウクライナで起きていることでさえ、どこか遠い国の話で、自分とは関係のない出来事として無関心を装ってはいないだろうか。
「平和教育」で最も大切なのは、他者への「想像力」や「共感力」だと考える。そこでカギとなるのが、「対話」である。
身近な問題を解決するために、他者の状況を想像し、お互いを尊重しつつ、対話を重ねる。この経験が地球規模の問題を考え、対処できる術となる。そうした一人一人の地道な行動が「平和」へとつながっていく。