番外編4「被害者の反面 戦争貢献も 企画展『われら少国民』」
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2023年10月19日(木)朝刊20面掲載★
平和のまちミュージアムでは現在、企画展「われら少国民~戦時下の子どもたち~」を開催している。太平洋戦争の時代、小学生くらいの子どもたちは、「少国民」と呼ばれていた。天皇の国、すなわち「皇国」における年少の国民という意味である。
当時「国民学校」と呼ばれた小学校では、少国民を天皇に忠実な国民へと育てるための教育が日々行われていた。修身や国史といった教科はもちろん、頻繁に行われた朝礼や運動会などの行事では軍隊式の団体行動が重視され、逸脱する子どもには、教師が容赦ない折檻を与えることもあった。
戦況が悪化すると、食糧増産のための農作業や勤労奉仕に加え、空襲警報の発令もあり、勉強できる時間は減っていった。空襲により家や学びやを失う者、けがをしたり亡くなったりする者もいた。こうした意味では、当時の少国民は戦争の被害者である。
一方で、子どもたちは真剣に戦争に関わっていた。周囲の大人から指導されていたにせよ、出征兵士の見送り、神社での武運長久祈願、兵士への慰問文の執筆、貯金、飛行機用の油を作るための松の根掘りなど、さまざまなかたちで一国民として戦争の遂行に貢献していたのである。
自らも少国民として過ごし、戦時下の子どもに関する著作を多く記している山中恒氏は「戦時中の子どもたちは、『完璧な皇国民』になることに喜びと誇りさえ持っていた」と述べる。
子どもであることの「稚拙さ」、「単純さ」などを武器として、「世俗的怯懦(臆病)と保身意識」を持つ大人の指導者を「逆に厳しく体制的な軌範へ追いやる後方督戦隊の役割りを果しつつあった」とも記す(「ボクラ少国民」=1974年刊=から)。
少国民は、社会的な地位を失うことを恐れる大人たちを、戦争に真摯に向き合わせるため、その監視役を担っていた。子どもを戦争に協力させていた責任は、かたちを変えて大人へ返ってくるのである。
子どもたちを、戦争の被害者にも加害者にもしないために、われわれに何ができるのか。12月10日まで開催の企画展で、ぜひ考えていただきたい。