番外編21 空襲対策への国民動員 防空法
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2025年11月6日(木)朝刊14面掲載★
先月10日、石破茂前首相が「戦後80年に寄せて」と題する所感を発表した。ここではその内容の是非について論ずることはしないが、ぜひ一度目を通していただきたいと思う。
その中に、「衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻になると述べ、これを否定しました」という一節がある。これは、1941(昭和16)年11月20日の衆議院防空法中改正法律案委員会における、佐藤賢了陸軍省軍務局軍務課長の答弁を指すとみられる。
防空法は、日中戦争が始まった37年に制定された法律である。これは、空襲対策として電気や明かりの使用を制限・禁止する灯火管制や消防など、軍以外の機関や国民が空襲に備えて実施する「国民防空」に関する法律だった。
制定当初は、国民の義務は灯火管制などに限定されていた。それが、対米戦争の危機が迫るなか改正され、必要に応じて都市からの退去を禁止する規定や、空襲時における初期消火を義務付ける規定などが追加された。これらの規定が、空襲の犠牲者を増やす結果を招いたという指摘もある。
答弁において佐藤は、敵国による空襲は軍事施設の破壊だけではなく、国民の戦意を動揺させるために行われるだろうと述べ、その際国民が混乱状態に陥り、結果的に「戦争継続意志」が破綻することを恐れるとする。そして、戦争は「意志ト意志ノ争ヒ」であり、敵の空襲を受けても、敵対心を奮い起こして、戦争継続の意志を高揚させることが必要であると主張。出席議員から拍手が送られた。
敵国民の戦意を失わせるのを目的とする市街地への空襲が戦争の早期終結のために有効であるという考え方は、この時期各国に広く共有されていた。そのような空襲にあらがうため、国民は防空に動員されていったのである。
平和のまちミュージアムでは、来年1月25日まで、企画展「防空先進都市・北九州~空襲に備えたまち~」を開催している。防空が市民生活をどのように変えていったのか、ぜひ考えていただきたい。
