番外編24 出会い、知る「面白さ」 自由な場
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2026年1月22日(木)朝刊16面掲載★
戦争や平和を語る場は、非常に窮屈だ。「戦争の悲惨さ、平和の大切さ、命の尊さ」といった「正解」があらかじめ用意され、疑問を挟む余地がない。紋切り型の答えから逸脱した発言は、非難の対象にさえなる。
平和のまちミュージアムでも、「戦争の悲惨さや平和の大切さ、命の尊さについて考える機会を提供する」とコンセプトを表明しているが、よく考えると、これがすでに結論ではないかと思える。明示された結論を考えるとは一体どういうことだろうか、と自身でも頭を抱えてしまうときがある。
さらに、戦争や平和について知ろうとするとき、それにふさわしい態度を求められる不自由さもある。学校団体の見学時に、楽しそうにはしゃぐ子どもたちを叱る先生の姿を見かけることがある。その注意に耳を傾けると、どうやら他の来館者の迷惑になるという理由ではなく、戦争や平和について学ぶ態度ではないという。
「戦争や平和ってよくわからないけど、何だか気になる」ではいけないのだろうか。もっと柔軟に考え、自由に語り合える場になり得ないのだろうか。
当館で昨年開催した夏の企画展では、学生と関わる機会が多かった。九州産業大学で原爆の絵を描く学生たちとの会話では、学校生活やバイトの話、エンターテインメントの話などと同列に、戦争や平和の話題が語られていた。
これまで、あまり戦争や平和について触れてこなかったという彼女たちは、それら異文化に対する出会いに面白さや、新たな知識を得る楽しさを感じていたのではないかと思う。そして、そうした日常を仲間と共有していたのだろう。
中には、原爆の絵を描き終えた現在でも、戦争や平和に関する作品づくりに取り組む学生もいる。彼女はいつもそれらを「面白い」と形容する。「面白いから、もっと知りたくなるし、周りにも伝えたくなる」のだという。
戦争や平和について少し関心のある層が、実はそれなりにいるのではないかと思う。そうした人たちが、気軽に訪れ、自身の抱いた感情を大切に、そこから生まれた思いを言葉にして良いのだと思えるようなミュージアムをつくっていきたい。
