第12師団の設置
Vol.31 令和4(2022)年9月2日
いよいよ明日9月3日から、企画展「“軍都”北九州の歩みとその痕跡」が平和のまちミュージアム内の企画展示室にて開催します。
展示では、北九州地域と軍隊がどのように関わってきたのかをパネル展示しており、様々な部隊が北九州地域にあったことを紹介しています。今回の学芸員日記では、第12師団について、より詳しく見てみたいと思います。
明治31(1898)年、小倉に「第12師団」が設置されます。師団とは、独立して作戦行動を行うことのできる単位であり、さまざまな専門をもつ部隊を傘下にもっていました。もっとも一般的で戦闘の中心となる「歩兵」、機動性を高めた「騎兵」、大砲を扱う「砲兵」、陣地の構築や移動のための設備整備などを行う「工兵」、物資の輸送などを担う「輜重兵」などです。
第12師団にも、他の師団と同様に傘下に各部隊が置かれます(上図)。それ以前より小倉城内には「歩兵第14連隊」がありましたが、新たに師団を設置するにあたり、企救郡東紫村北方(現小倉南区)に兵営(兵士が居住する区域)が建設されました。これにより、北方は軍隊の町として発展していくことになります。
師団の設置は、地域にさまざまな効果をもたらしました。例えば、師団が立地すると、その地域では少なくとも5千人前後の人口が増えることになります。人口が増えることにより消費活動も盛んになり、各部隊への軍用品の納入なども増えました。また、清潔な水が大量に必要となるため、小倉市と北方の需要をまかなう水道の整備が陸軍の補助金をうけて実施され、大正2(1913)年に通水しています。交通インフラの整備も行われ、明治40(1907)年には香春口と北方を結ぶ小倉軌道(のちの小倉電気軌道→西鉄北方線)が開通しました。
こうして、小倉を中心に北九州は“軍都”として発展していくことになります。
明日から始まる企画展では、第12師団に所属していた部隊に関係する資料を展示しています。ぜひご覧ください!