門司港と戦争
2022/10/14
Vol.37 令和4(2022)年10月14日
Vol.37 令和4(2022)年10月14日
門司港は、戦争が起こると兵士や物資を輸送するための軍事中継基地となりました。日中戦争が始まった昭和12(1937)年には、出征部隊の発着回数が488回を数え、普段の貿易港とは異なる賑わいを見せるようになります。
上の写真(一部加工)の資料は、朝鮮半島の部隊へ入隊することになった兵士あてに、当時の戸畑市長から出された通知文です。戸畑駅での見送り、門司での宿泊などに関する注意事項などが記されています。門司到着から出港までの間、一般の家に兵士が分かれて宿泊しており、そういった家には特別に食料が支給されていました。
門司港から出港する際には、兵士の家族、国防婦人会の女性や国民学校(小学校)の子どもたちによる盛大な見送りが行われました。子どものころ、港で兵士の見送りに行っていた方によると、日の丸の小旗を振りながら「愛国行進曲」を歌って見送っており、高揚しているような気持ちだったそうです(館内映像展示より)。
また、門司の港からはたくさんの軍馬も戦地へ赴きました。今でも門司港の岸壁近くに、「出征軍馬の水飲み場」が残されています。
写真の資料を展示している企画展「“軍都”北九州の歩みとその痕跡」は、10月30日(日)までの開催となります。ぜひご覧ください!
(学芸員O)
【参考文献】
門司市史編集委員会編『門司市史』第2集、門司市役所、1963年
『聞き書きでのこす門司の記憶 未来への伝言』、聞き書きボランティアともがき隊、2021年