風船爆弾と原爆の共通点
No. 94 令和6(2024)年8月2日
7月27日(土)より、企画展「八月九日を忘れるな!―小倉と原爆“if”の歴史―」がはじまりました。最初のパネルでは、以下の写真を掲載していますが、なぜ風船爆弾の写真を選んだのかお気付きでしょうか。
風船爆弾の製造作業を行う女子挺身隊
(出典:『北九州市史 近代・現代』行政社会)
実は、風船爆弾と原子爆弾には共通点があります。こう言うと、だいたいの方が不思議そうな顔をして、日本が苦し紛れに行ったように見える作戦と、最先端の技術を結集して開発され、多大な被害を出した原爆とは異なるといったことを言われます。しかし、風船爆弾と原爆は、どちらも明確な目標を限定しない「無差別爆撃兵器」であったということがいえるのです。
小倉陸軍造兵廠では、全国で唯一、風船爆弾の原紙づくりから組み立てまで一連の作業を行っていました。作家の林えいだいは、著書『女たちの風船爆弾』の中で、風船爆弾に対する評価が、アメリカの一部では、林自身が思っていた以上に高かったことに触れています。爆弾そのものの威力を恐れていたのではなく、気球に細菌や毒ガスを積んで攻撃される可能性とその被害について、危機感を抱く人もいたのです。
このように、風船爆弾と原爆には、「無差別爆撃兵器」という見落としがちな共通点があったのです。そのことに気付くきっかけになればと思い、今回パネルに風船爆弾の写真を掲載しました。
10月6日(日)まで開催中の本企画展では、長崎原爆資料館からお借りした資料や写真パネルも展示しています。また、8月12日(月・休)には、長崎原爆被爆者による講演会を実施します。お申し込みは平和のまちミュージアム(☎093-592-9300)まで。みなさまのご参加をお待ちしております!
(学芸員M)
【参考文献】
林えいだい『女たちの風船爆弾』亜紀書房、1985年