番外編7「ある家族との出会いから 『記憶』つなぐ企画展」
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2024年2月15日(木)朝刊20面掲載★
「八幡の空襲で、家族4人を失いました」。1945年8月8日の八幡大空襲で母と姉弟3人を亡くされたという女性が昨年夏、お孫さんと一緒に平和のまちミュージアムを来館された。
雨のように焼夷弾が降り注ぐ中、少女だった自分は家族用の防空壕に逃げ込んだが、母と姉弟3人はいつまでもやって来なかった。母たちは、なぜか今まで一度も使っていない防空壕に避難していた。空襲後、その防空壕では母たちを含む18人全員が窒息死していた―。そう証言された。
八幡大空襲でけがをした父の診断書や、戦後のご自身の様子が所見に記された通知表などもお持ちいただいた。手書きのメモとともにファイルに整理された品々を拝見し、大切に保管されてきたのがうかがえた。
それらの品々を「自分以外は価値のないものだ」と寂しそうに話す祖母をいさめ、いずれは自分が引き取ると強く主張するお孫さんの姿も印象に残っている。
当時の八幡を知る貴重な資料だとお伝えすると「生かしてもらえるのであれば」とご寄贈いただいた。
当時、防空壕に保管していた馬車3台分の荷物は全て盗難に遭い、唯一残ったのが警報機付き金庫だったという。その金庫はミュージアムで開催中の「令和5年度収蔵品展」(4月7日まで)で展示している。
実は今回の企画展に冠したタイトル「あなたに語り継ぐ、北九州の思い出」は、この家族との出会いがきっかけになっている。
常設展では、いわゆる個人の記憶はほとんど表に出ない。しかし今回の企画展では個人のプロフィルとともに、その人固有の体験を紹介しようと試みた。
私的な経験が、ミュージアムという場を用いて、多くの人に語られるものとなる。そして家族の歴史も継承されていく。
記憶を再生産していく過程で、抜け落ちたものを丁寧に拾い集め、つなぎとめる。常設展や市史では語られない「記憶」に触れ、その時代を生きた人々をより身近に感じてほしい。家族から家族へ、ミュージアムからあなたへ、そしてまた誰かへ。
企画展で「記憶」の一端に触れ、未来へつないでいただければ幸いである。