B29による本土初空襲
2022/08/12
Vol.28 令和4(2022)年8月12日(金)
昭和19(1944)年、6月16日未明、北九州は初めて、アメリカ軍の爆撃機であるB29から空襲を受けました。B29による日本本土への初空襲です。
これらの爆撃機は、中国の成都の基地から発進してきたもので、北九州上空には47機が飛来しました。目標は八幡製鐵所で、一機に500ポンド爆弾(250キロ爆弾)8発を載せていました。
しかしながら、八幡製鐵所上空の視界が悪く、47機のうち32機がレーダーで爆弾投下をすることとなったうえに、レーダー爆撃の練度も低く、北九州の旧五市のさまざまな場所に被害が出ることとなりました。八幡製鐵所構内には5発の爆弾が落ちましたが、生産には全く影響がなかったと言われています。
かえって大きな犠牲者を出したのは、小倉陸軍造兵廠でした。第二製造所内の第二旋工場に爆弾2発が落ち、防空壕が埋まるなどにより70~80数名の方が亡くなったのです。そのうち約半分は、学徒動員で働いていた女子生徒を含む女子挺身隊の方々でした。
上の写真は、爆弾が直撃した小倉市砂津(現 小倉北区)の民家の様子です。これにより、6名の方が即死しました。この時の空襲により、旧五市であわせて約300人の尊い命が失われています。
これ以降、昭和20(1945)年の8月に戦争が終わるまで、北九州は度重なる空襲を受けることとなるのです。
【参考文献】
北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代』行政社会、北九州市、1987年
北九州の戦争を記録する会『米軍資料 八幡製鉄所空襲』、北九州の戦争を記録する会、2000年