【第10回公式活動「つなぐ 戦争と暮らし」開催報告 前編】
【2025年12月13日に開催したイベントについてご紹介します】
【イベント全体について】
イベント名:「つなぐ 戦争と暮らし」
日時:2025年12月13日(土) 10:00~13:00
場所:北九州市立生涯学習総合センター(小倉北区大門一丁目6番43号)
構成:第一部 杉野慧子氏(八幡大空襲体験者)による講話
第二部 戦時中の食事再現・実食
ピースフィールドクラブの空襲体験講話部会のメンバーは、戦争中の子どもがどのような食事、生活をし、空襲をどのように生き延び命をつないだのかを学ぶために「つなぐ戦争と暮らし」をテーマに企画したイベントを開催しました。 「つなぐ」には、戦時中なんとかして(食材を確保し、空襲から逃げ延び、・・・)命をつないだこと、当時の体験の記憶を次世代につないでいく、という二つの意味を込めています。>
戦時中、北九州地域で最も被害が大きかった八幡大空襲を体験された方に当時の生活や空襲体験を伺い、また、戦時中の食事を自分たちで再現・実食し、少しでも体験者の方の当時の記憶を受け継ぎ、次世代へつないでいければと考え企画しました。開催にあたり、部会メンバーは何度も協議を重ね、講師を探したり、戦中食の情報を探して試作したりしながら具体的なレシピを完成させ、企画を実現させました。
第一部 空襲体験講話

北九州地域の空襲のうち、最も規模が大きかったのが八幡大空襲です。
その八幡大空襲を体験された杉野慧子さんに当時の生活や食事、空襲についてのお話を聞きました。
杉野慧子さんは、聞き書きボランティアグループ「平野塾」に所属され、今までにも北九州市民カレッジなどで講話をされています。>
杉野さんに八幡大空襲の時の体験に着いてお話していただきました。空襲が始まり、お母さんとお姉さんと一緒に逃げようとすると外は真っ黒で周りのは火の海だったそうです。
そして、逃げる途中でお姉さんとはぐれてしまったそうです。家族と示し合わせていた桃園球場に到着しお母さんと身を潜めていると目の前にひまわりが咲いていたそうですが、少し目を離し次に見た時にはひまわりは熱さにより水分を吸い取られ枯れ始めていたそうです。杉野さん自身は恐怖で熱さを感じていなかったそうです。
その後近所のおばさんのお陰ではぐれたお姉さんと再開し、4時頃にはお父さんも球場に到着し家族で再開することができました。火が収まった後、周りを見ると見渡す限りの焼け野原で洞海湾が見えるほどだったそうです。
講話を通し、八幡大空襲の凄まじさと命を繋ぐ重みを学びました。特に衝撃的だったのは、爆撃の煙と塵が空を覆い、太陽の光が閉ざされたことで一輪のひまわりが一瞬で枯れてしまったという話です。太陽に向き咲くはずの花さえ奪う暗闇の異様さに、戦争の恐ろしさを痛感しました。
街が火の海となる極限状態の中、生き延びた方々が必死に命を繋いでくださったからこそ、今の私たちの日常があると思います。当たり前の平穏は、過去の多くの犠牲と強い意志の上に成り立つものだと強く感じました。この学びを風化させることなく、平和の尊さを次世代へ語り継いでいく責任を果たしていきたいです。
杉野さんは、戦時中の生活について実体験を交えて教えてくださいました。開戦の知らせを聞いた母の言葉から、戦争が日常だった当時の空気が伝わってきます。
物資や食料は不足し、甘い物や肉類はほとんどありませんでしたが、かぼちゃやさつまいもを使ったぜんざい、すいとんなどで暮らしを支えていました。その生活を成り立たせていたのは、母の工夫と努力だったと振り返られていました。
杉野さんの穏やかな語り口の中にある生の体験に引き込まれ、あっという間に時間が過ぎていきました。戦争が「日常」だったという事実や価値観の違いに驚きながら、今私たちが過ごしている平和のありがたさを改めて感じました。この平和を未来へつないでいくために、私たち若い世代が体験や想いを伝えていきたいと思います
記事作成:北九州市ピースフィールドクラブ 空襲体験講話部会
(椛島日和、久枝綾音、髙瀨颯太郎、遠矢陸斗、坂口奈津実、瀬口苺珂、白石珠々奈、寳木樹々、中尾友樹)