空腹の時代と学校給食
No.55 令和5(2023)年2月24日
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戸畑市の小学校での給食風景(『北九州思い出写真館』より)
現在、ほとんどの小・中学校で毎日給食がありますが、学校給食がどのように始まったか知っていますか。学校給食は、明治22(1889)年、山形県鶴岡市の小学校で貧困児童を対象に、おにぎり、焼き魚、漬物の昼食を無償で提供したことがはじまりとされています。その後、貧困児童への援助や児童の栄養改善に向け国が奨励したことから、全国的に広がりました。
北九州地域での学校給食は、昭和3(1928)年に若松市が身体虚弱児や貧困児に寒い時期の夜、平日1日および祝祭日に食事を提供したのがはじまりとされています。戦争がはじまると、食糧不足のため門司市では味噌汁給食を実施し、主食は家から高粱(中国東北部などで多く栽培されるモロコシの一種)、麦飯、だんご等を持参させました。そして、学校で子どもたちは授業の代わりに農作業を行い、食糧増産に努めました。しかし、戦争が長期化すると、食糧不足や物資統制のため、学校給食は中止せざるを得なくなってしまいます。
実は、食糧不足は戦中よりも、むしろ戦後のほうが深刻であったと言われています。戦後まもなく、西小倉国民学校の先生(当時)が「子供たちは、いつも腹ペコだった。弁当の中身は種イモかカボチャの煮つけ、振るとごろごろ音がする。家族をかかえた先生も同じだ。とても授業どころではなかった」と日記に書いています。お弁当を学校に持ってこられない子も多く、持っている子でも中身がほとんど入っていない状況でした。
こうした子どもたちの栄養状態を改善するため、昭和21(1946)年、文部・厚生・農林の三省次官名で「学校給食実施の普及奨励について」の通牒が発せられ、占領軍からの食糧供出やアメリカの民間救援団体「アジア救済連盟(LARA)」からの援助などで、全国の都市の小学校児童に対し、週2回給食が出されるようになりました。
北九州地域では、昭和22(1947)年に戸畑市がいち早く全小学校で副食給食を開始しました。副食給食とは、ごはんやパンなどの主食を除いたおかずだけの給食のことです。北九州地域で現在のような週5日、主食も含めた完全給食制が施行されたのは、昭和26(1951)年に入ってからです。
今や当たり前の学校給食ですが、昔は食べることもままならない時代があったことを学び、食の有難さを一層噛みしめながら日々の食事を味わってみてください。
(学芸員M)
【参考文献】
北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代』行政・社会、北九州市、1987年
毎日新聞西部本社編『激動二十年―福岡県の戦後史』、葦書房、1994年
文部省編『学制百年史』、帝国地方行政学会、1981年
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