番外編25 新たな「当事者」にいたる 作品との対話
連載コラム『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2025年10月2日(木)朝刊16面掲載★
私たちは、戦争体験や記憶の継承を問うとき、当事者=体験者であり、体験者の減少が問題であると思い込んでいないだろうか。
企画展「記憶の表象(カタチ) ―継承とは何か、を問う―」(13日まで)では、言語以外で先の戦争の記憶を表象する取り組みを扱っている。絵画、写真、インスタレーションなど手法はさまざまだが、前回紹介した広島市立基町高校と九州産業大が制作した「原爆の絵」の実践に見られたように、過去の戦争が現在と地続きであり、私たちにとって決してひとごとではないことを突きつけてくる。
とりわけ、時間の連続性を、厚みを持って伝えるのが、広島市出身の写真家堂畝紘子さんによる被爆者とその三世までを含めた家族を撮影した写真である。もし、写真に写る一人の被爆者が生き延びていなければ、そこに写る全員が存在していないことに慄然とする。被爆者の家族写真を撮り続ける堂畝さんは「被爆体験の継承ではなく、つながっている“いのち”の継承」を問うたという。
先入観なく写真に向き合えるよう、あえて写真と説明文を向かい合わせに配置した。写真を見つめていると、いつか撮った自分の家族写真を思い起こす。見る者の時間が被爆者の生きてきた時間と重なり合い、心を揺さぶられる。
多目的ホールには北九州市出身の美術家春野修二さんのインスタレーションを展示している。8月6日の広島原爆から8日の八幡大空襲、9日の長崎原爆への時間を空間に落とし込み、表現している。
こうした作品は物語化された証言などに対し、ある種のわかりにくさをはらむ。しかしだからこそ、受け手は自身の想像力を働かせ、作品との対話を通して、そこに込められた記憶と思いを受け止めていく現場の「当事者」になり得るのである。
当事者とは、実は単純に体験の有無だけではない。これから自覚的につくり上げていかなければならないのは、こうした継承そのものの深い過程の体験を通して、新たな「当事者」にいたることなのだろう。
※企画展「記憶の表象 ―継承とは何か、を問う―」は、2025年10月13日をもって会期終了しました。
