たくさんの軍馬も暮らした輜重兵第12大隊

(『退営記念 輜重兵第十二大隊第二中隊』、1918年、市立文書館所蔵)
第12師団の設置に伴い、企救郡東紫村北方地区(現 小倉南区)に新しい兵営が建設されると、その北部には物資の輸送等を担う部隊の兵営が設置されました。それが、明治29(1896)年に熊本の輜重兵第6大隊内で編成が開始され、明治31(1898)年11月に北方の新兵営へ移駐してきた、輜重兵第12大隊です。
明治23(1890)年制定の「陸軍定員令」によると、輜重兵大隊には、将校・兵士と、彼らの指揮のもとに物資輸送を担う輜重輸卒らが約600名所属し、訓練に励んでいました。輜重兵第12大隊の営内には3棟の兵舎と輸卒舎が建っており、兵士たちはそこで生活を送りました。
また、機械化前の物資輸送の主役である軍馬が多数(「陸軍定員令」によると約150頭)所属しており、それらの軍馬の調教・世話も、兵士たちの任務の一つでした。馬たちには、「一ノ谷」「賤ヶ岳」などの例外を除いて漢字2文字の名前がつけられていました。防衛省防衛研究所所蔵の「輜重兵第十二大隊歴史」には、「白砂」「友軍」「若嵐」「琴平」「秋鶴」「豊前」など、約70頭の名前が登場します。現存する輜重兵第12大隊関係の写真にも馬が多数写っており、軍馬とともに生活を送っていた様子をかいま見ることができます。
輜重兵第12大隊は、大隊設置後、日露戦争やシベリア出兵などの戦争を経験しました。そして大正14(1925)年、陸軍の軍備縮小にともなって廃止され、跡地は兵器庫等として利用されることになります。
太平洋戦争終結後、北方の兵営跡地は占領軍に接収されますが、輜重兵第12大隊跡地は比較的早期に返還され、昭和24(1949)年から約20年弱、福岡学芸大学(現 福岡教育大学)小倉分校として利用されました。さらに、昭和41(1966)年に開校した福岡県立北九州高等学校が同43(1968)年に輜重兵大隊跡地へ移転、現在に至っています。北九州高校が北方に移転した当初は、明治時代の兵舎が校舎として利用されており、馬小屋を改造した体育館で入学式等を実施したそうです。

現在、輜重兵第12大隊跡地には、北九州高校のほか、東側に小倉南区役所、小倉南生涯学習センター、小倉南警察署などが立地し、市民生活に欠かせない場所となっています。また、大隊跡地の西側にある北方1号公園には、輜重兵第12大隊跡を示す石碑が建てられており、一部には旧軍時代の塀が残存しています。
8月30日まで開催中の企画展「兵隊さんのまち ~北方兵営とその周辺~」では、輜重兵第12大隊の建物配置図や、兵営内で撮影された写真を展示しています。ぜひご来館ください。
(学芸員O)
【参考文献】
防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵「輜重兵第十二大隊歴史」
小倉市役所編『小倉市誌 補遺』(小倉市、1955年)
『福岡県立北九州高等学校 創立二十周年記念誌』(福岡県立北九州高等学校、1986年)