北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    たくさんの軍馬も暮らした輜重兵第12大隊

    2026/05/22

    輜重兵第12大隊の兵士と軍馬たち
    (『退営記念 輜重兵第十二大隊第二中隊』、1918年、市立文書館所蔵)

     第12師団の設置に伴い、企救郡きくぐん東紫村北方地区(現 小倉南区)に新しい兵営が建設されると、その北部には物資の輸送等を担う部隊の兵営が設置されました。それが、明治29(1896)年に熊本の輜重兵しちょうへい第6大隊内で編成が開始され、明治31(1898)年11月に北方の新兵営へ移駐してきた、輜重兵第12大隊です。
     明治23(1890)年制定の「陸軍定員令」によると、輜重兵大隊には、将校・兵士と、彼らの指揮のもとに物資輸送を担う輜重輸卒しちょうゆそつらが約600名所属し、訓練に励んでいました。輜重兵第12大隊の営内には3棟の兵舎と輸卒舎が建っており、兵士たちはそこで生活を送りました。
     また、機械化前の物資輸送の主役である軍馬が多数(「陸軍定員令」によると約150頭)所属しており、それらの軍馬の調教・世話も、兵士たちの任務の一つでした。馬たちには、「一ノ谷」「賤ヶ岳しずがたけ」などの例外を除いて漢字2文字の名前がつけられていました。防衛省防衛研究所所蔵の「輜重兵第十二大隊歴史」には、「白砂」「友軍」「若嵐」「琴平」「秋鶴」「豊前」など、約70頭の名前が登場します。現存する輜重兵第12大隊関係の写真にも馬が多数写っており、軍馬とともに生活を送っていた様子をかいま見ることができます。
     輜重兵第12大隊は、大隊設置後、日露戦争やシベリア出兵などの戦争を経験しました。そして大正14(1925)年、陸軍の軍備縮小にともなって廃止され、跡地は兵器庫等として利用されることになります。
     太平洋戦争終結後、北方の兵営跡地は占領軍に接収されますが、輜重兵第12大隊跡地は比較的早期に返還され、昭和24(1949)年から約20年弱、福岡学芸大学(現 福岡教育大学)小倉分校として利用されました。さらに、昭和41(1966)年に開校した福岡県立北九州高等学校が同43(1968)年に輜重兵大隊跡地へ移転、現在に至っています。北九州高校が北方に移転した当初は、明治時代の兵舎が校舎として利用されており、馬小屋を改造した体育館で入学式等を実施したそうです。

    北方1号公園の「輜重兵第十二大隊跡」碑

     現在、輜重兵第12大隊跡地には、北九州高校のほか、東側に小倉南区役所、小倉南生涯学習センター、小倉南警察署などが立地し、市民生活に欠かせない場所となっています。また、大隊跡地の西側にある北方1号公園には、輜重兵第12大隊跡を示す石碑が建てられており、一部には旧軍時代の塀が残存しています。
     8月30日まで開催中の企画展「兵隊さんのまち ~北方兵営とその周辺~」では、輜重兵第12大隊の建物配置図や、兵営内で撮影された写真を展示しています。ぜひご来館ください。

    (学芸員O)

    【参考文献】
    防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵「輜重兵第十二大隊歴史」
    小倉市役所編『小倉市誌 補遺』(小倉市、1955年)
    『福岡県立北九州高等学校 創立二十周年記念誌』(福岡県立北九州高等学校、1986年)

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