番外編27 文豪歩んだ陸軍のまち 北方兵営
連載コラム 『想い つなぐ』
★西日本新聞 北九州・京築版 2026年5月7日(木)朝刊14面掲載★
森鷗外、松本清張、火野葦平、やなせたかし…。近現代日本において名を残したこれらの作家たちには、実はある共通点がある。
それは、何らかのかたちで、現在の北九州市小倉南区北方地区に関わったということである。北方は、1897(明治30)年から1945(昭和20)年まで、陸軍の兵士たちの訓練や生活の場である「兵営」が置かれた場所だった。
陸軍の軍医だった森鷗外は、1899年に北方兵営を管轄する第12師団の軍医部長として小倉に赴任、衛戍病院(陸軍病院)が北方に置かれていたこともあり、たびたびその仕事の一環として北方の地を訪れた。
松本清張は、高等小学校卒業後に就職した電気会社を解雇され、失職状態だった18歳ごろ(1927年ごろ)、父の手伝いで、北方兵営前で餅を売る商売をしていた。まちの人々はもちろん、兵士や面会に来た家族などを主な相手とした商売だったと思われる。その合間を縫って、練兵場(兵士の訓練場)の丘で、読書をしていたという。
火野葦平は、日中戦争が始まった37年、「糞尿譚」の脱稿直後に北方兵営へ召集され、そこで編成された歩兵第114連隊の分隊長として中国の戦地へ赴く。そして、戦地で「糞尿譚」の芥川賞受賞の知らせを聞くことになる。「兵隊作家・火野葦平」の誕生である。
やなせたかしは、41年1月に召集令状を受け、縁もゆかりもない北方の野戦重砲兵部隊へ入営した。ここで約3年間、軍馬の世話をしたり、暗号解読の訓練を行ったりしながら軍隊生活を送り、中国戦線へ向かった。
北方兵営と関わった人々は、もちろん彼らだけではない。北方の地は、軍隊あるいは戦争という要素によって、多数の人生が交差した地となったのである。
一方で、北方が軍隊のまちであったことを知る人は、北九州市民でもそう多くはないだろう。その事実が、現在の北方を形作る背景になっているにも関わらず、である。
4月29日から始まった企画展「兵隊さんのまち ~北方兵営とその周辺~」では、戦前期を通じて、陸軍の兵営とともに歩んだ北方の歴史を描いている。この機会に、軍隊のまちの歴史を知ってほしい。
