北九州市平和のまちミュージアム
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    学芸員日記

    若戸大橋 ~洞海湾の赤いかけはし~

    2023/03/31

    No. 60 令和5(2023)年3月31日

    建設中の若戸大橋

     昨年2月9日、若松と戸畑を結ぶ若戸大橋が国の重要文化財に指定されました。これは、日本の長大吊橋の技術的原点として、歴史・技術史的見地から重要であると評価されたためです。

     渡船で結ばれていた若松と戸畑を、自動車交通によって結ぶ計画が立てられたのは、戦前のことでした。昭和12(1937)年頃に研究されたトンネル案は現地調査も行われ、実際に施工認可も下りています。しかしながら、戦争の激化により、実現することはありませんでした(その後、平成24(2012)年に開通した若戸トンネルによって、海底トンネルによる若戸連絡が実現しています)。

     戦争終結後、再び若戸間の道路建設が話題となります。この時に、トンネル案から橋梁案へと姿を変え、昭和30(1955)年から建設省による調査が再開されました。翌年からは日本道路公団が調査を引き継ぎ、様々な試験を行った結果、最終的に吊り橋を建設する案がまとまります。

     若戸大橋の建設は昭和33(1958)年4月に開始され、約4年の歳月をかけて完成、昭和37(1962)年9月27日に開通しました。工事期間中、延べ約61万人もの人々が、建設に従事しました。

     橋の全長は2,068m、そのうち吊り橋部の延長は680mで、完成時「東洋一の吊橋」と呼ばれました。開通時は片側1車線で、両側に歩道が設置されていました。歩行者と自転車は橋台に設置されたエレベーターで橋上へと上がり、橋を通行していました。橋の下を1万トン級の船舶が航行できるよう、橋げたは満潮時の海面から40mの高さが確保されています。

     橋の開通から60年以上がたち、その間、歩道の廃止と4車線化、通行料金の無料化などが行われました。現在も若戸大橋は、洞海湾両岸をつなぐ重要な交通路として、また若松と戸畑のシンボルとして活躍しています。

    (学芸員O)

    【参考文献】

    日本道路公団福岡支社若戸橋工事事務所編『若戸大橋』(日本道路公団福岡支社、1963年)

    北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代』行政・社会(北九州市、1987年) 「若戸大橋パンフレット」(https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000998579.pdf 2023年3月30日閲覧)

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