小倉陸軍造兵廠の空襲被害
No. 64 令和5(2023)年4月28日
昭和19(1944)年6月16日未明、47機のB-29が北九州上空へ来襲し、約370発の500ポンド爆弾(250kg爆弾)を投下しました。北九州への初空襲であり、B-29による日本本土への初めての空襲です。学芸員日記28「B-29による本土初空襲」で紹介した通り、この空襲は八幡製鐵所を標的とするものでしたが、実際には製鐵所にほとんど被害は出ませんでした。
この空襲でまとまった被害者が出たのは、小倉陸軍造兵廠でした。第二製造所内の第二旋工場付近に爆弾が落ち、防空壕へ待避していた人々が吹き飛ばされたり、生き埋めになったりしたのです。爆弾の威力は相当なもので、工場内にあった旋盤が屋根の上まで吹き飛ばされるほどであったといいます。『小倉陸軍造兵廠史』(318ページ)には、この時の惨状が以下のように綴られています。
屋上の陣地から見ると、次々に担架や戸板で死傷者が運ばれてくるのが見られた。腕がない者、胴体だけの者、足がない者、顔じゅう血まみれの者、ウメキ声を出している者等々、一夜にして地獄となったのである。
また、この空襲で弟を亡くした方は、弟の身体は爆弾で吹き飛ばされたため、遺体と対面することができなかったと語られています。学徒動員の女学生や、若い工員など、約70名の命がこの空襲で失われたのでした。
小倉陸軍造兵廠跡地内の小倉北区大手町にある永照寺には、この時の空襲で犠牲になった方々の霊を弔う慰霊碑(写真)が建立されており、今も花を手向ける人が絶えません。私も先日お参りし、手を合わせてきました。
来月20日より、この北九州初空襲に関する企画展を開催する予定です。現在、準備を進めていますので、ぜひご期待ください。
(学芸員O)
【参考文献】
小倉陸軍造兵廠同窓会編『小倉陸軍造兵廠史』(小倉陸軍造兵廠同窓会、1988年)
NHKアーカイブス「兵器工場空襲で死んだ弟」、https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001130007_00000、2023年4月27日閲覧