平和のまちミュージアム企画展「兵隊さんのまち ~北方兵営とその周辺~」開催のお知らせ
『兵隊さんのまち ~北方兵営とその周辺~』
開催期間
令和8年4月29日(祝・水)~令和8年8月30日(日)
開催場所
北九州市平和のまちミュージアム 企画展示室
展示内容
明治29(1896)年、陸軍の師団が設置されることが決まった小倉の郊外、北方で兵営の建設工事が始まりました。兵営完成後、歩兵第47連隊、騎兵第12連隊など、第12師団を構成する部隊が設置され、大正から昭和にかけては、野戦重砲兵第6連隊、歩兵第14連隊等が兵営を置きます。終戦までの約50年間、兵士の教育訓練、生活の場として北方は機能したのです。
また、明治32(1899)年に小倉城内から北方へ移転した小倉陸軍病院(小倉衛戍病院)は、戦時に多くの傷病兵を受け入れました。特に、日中戦争が始まった後に敷地が大拡張され、全国屈指の規模を誇る陸軍病院となりました。
このように、多くの兵士たちが暮らした北方地域は、軍隊のまちとして発展しました。小倉城下から北方まで開業した馬車軌道は路面電車となり、多くの人々を運びました。旧秋月街道沿いには店や旅館などが立ち並び、戦時には兵士だけでなく、面会のために来た兵士の家族でもにぎわいをみせます。
北方に出入りする人々の中には、著名な人物の姿もありました。森鷗外は、第12師団軍医部長としてたびたび北方へ足を運びました。松本清張は、18歳ごろ、父親と営門前で商売をしていました。火野葦平は芥川賞受賞作の「糞尿譚」を脱稿直後に北方の兵営に召集され、戦地へと向かいます。やなせたかしは新兵として北方の兵営に入隊、中国に渡るまでの約3年間を過ごしました。北方は、軍隊、あるいは戦争という要素によって、たくさんの人々の人生が交差する地となりました。
本展示では、北方兵営とそれを取り巻く地域の歴史を紹介します。軍隊とともに形成されていった地域の歩みについて、考えていただきたいと思います。
学芸員によるギャラリートーク
日時:令和8年6月7日(日)、7月26日(日) いずれも14時~(30分程度)
会場:北九州市平和のまちミュージアム 企画展示室にて
企画展チラシ
